クラタの電脳云々

広義バーチャル、TRPG、美味しい生魚などが好きです

人生の分岐点、よいTRPGシナリオとは、デトロイトの配信を見たい、みたいな

Detroit: Become Human」やんなきゃな~って5年ぐらい思ってる。
「5年」はデカすぎる数字を言うっていうボケのつもりだったんだけど、今発売日調べたら2018年だった。3年は5年みたいなもんだ。

正直言うとやんなきゃなとは微塵も思っていない。3年寝かせたものを今更やろうという気にはならん。めちゃくちゃ正確に言うと、デトロイトをやらないという覚悟を決めてさっさと実況を見たい。しかし踏ん切りがつかない。なんかの拍子にやるんじゃないかという一縷の望みをどうしても捨てられない。

見たことないなりにデトロイトについて抱いている印象として、「なんか選択と倫理のやつ」というイメージがある。たぶんあってんだろ。選択と倫理。大好き。大好きだから選択と倫理そのものみたいなゲームを好き好んで狂ったようにやっている。

 

昔、好きじゃないTRPGシナリオ作者がいた。流石に名前は出さないが。

その人のシナリオは、ほとんど一本道みたいなものが多くて、プレイヤーは順繰りに振ってくる石を回避で避けて、襲ってくるゴブリンをこぶしで殴って、目星で見つけた鍵で扉を開いて、平和な日常を取り戻してハッピーエンド、みたいな。

つまんね~。

せっかく無限の自由があるのに、なんでそんなつまんね~とこに閉じ込められなきゃならんのだ。こっちはデジタルゲームじゃ絶対味わえない自由を啜りに来てるんじゃ。密室のドアは蹴破るし、大魔王はバナナの皮で転ばせたあと言いくるめクリティカルで改心させるんだ。

 

最近、TRPG不自由だな~と思う。どんな行動をとっても、なんだかんだ【シナリオ名】.pdfの最後のページには「エンディングの描写」って項目があって、そこには3パターンぐらいの分岐しか書かれてない。シナリオ中にNPCに対してかけた言葉によってエンディングが取り返しのつかないぐらい変わるシナリオってたぶん意外とあんまない。大魔王の首を切り落とそうが善人に変えようが結びの言葉は「こうして勇者は世界を救いました。めでたしめでたし。」。

じゃあデトロイトでいいじゃん。デトロイトTRPGも同じぐらい自由だよ。わかんない。デトロイト見たことないから。でも少なくともデトロイトには「幸せな結末」に無意識に誘導してくるKPはいない。超自由じゃんデトロイト神ゲーだ。みんなもやったほうがいい。

でもやっぱり、TRPGしてる時って洒落にならんぐらい自由を謳歌している気持ちになる。たとえ答えが決まってても、そこに至るまでの選択ができるって最高だ。たとえどうせ全部回ることになるマップでも、行く順番を選べたら最高だ。どうせ図書館で見つかる情報でも道行くNPCから聞きだせたら最高だ。おれは心と頭をぶっ壊しているのでこういうときすぐ人生の話を持ち出してしまうのだが、どうせ結末が「彼は幸せな一生を過ごしました」に決まっていても、そこまでの行き方を選べたら最高だ。どうせ冷たい飯を食うならその種を選べたらマジで最高だ。

 

明日、もう今日になっちゃったけど、昔好きじゃなかったシナリオ作者が書いたシナリオを回す。回ってくれませんかって俺がPLたちに無理言って取り付けたシナリオの続編。いいセッションになるといいな。

 

 

 

追記:とりあえず、蒸留酒はしばらく飲まないという選択をします。

 

あとこれはただのだいすきなうた