クラタの電脳云々

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弟がいる気がする

 

 

弟がいる気がする。

 

そんなわけがない。弟というのはそんな「いる気がする」みたいな代物ではない。私はまごうことなき一人っ子だ。私に弟はいない。

 

でも弟がいる気がする。

 

かれこれ10年以上、「私には弟がいるのではないか」という考えが脳みそに巣食っている。別に、母親が見知らぬ男の子の写真を大切に保管しているところを目撃してしまったとか、夢枕に頻繁に立つ子どもがいるとかそういう訳ではない。ただ、「弟がいる気がする」のだ。

 

 

一つ、これについて覚えていることがある。

母親が、当時小学校低学年の私に弟の存在について語って聞かせているシーンの記憶だ。「あなたには弟がいる」と言われた、ような気がする。「いる」という部分にどこまでの意味が含まれているのかは、忘れてしまった。

幼少期の記憶がかなり薄いほうなので、そもそもこの記憶の存在そのものに違和感がある。本当に不思議なぐらい鮮明に覚えている。実家のリビング。洗濯物をたたむ母親。それをとぼけた顔で眺めている私。昨日のことのように思い出せる。

 

 

…おかしくねえか?

 

今、記憶の中の風景に、自分の姿も入ってなかったか?

 

異常にはっきりしていて、それでいておぼろげな記憶。それも俯瞰視点の。

 

これ、夢じゃないか?

 

これ、10年前に見た夢じゃないか?

 

すみません。ここまでの話、全部俺が見た夢の話でした。

 

 

 

そりゃあわかっている。夢に決まっている。だっていないんだもん。弟。

死んでいるなら年に一回ぐらいは悼んであげてほしいし、生きているなら両親にはもうちょっと何事か抱えている風に日々を過ごしていてほしい。それがないならもう弟はいない。いないのだからもうこの話は終わりだ。全て忘れて日常に戻ろうじゃないか。

 

 

 

弟がいる気がする。

 

いないのはわかっているがどうしても弟がいる気がする。どんなに忘れようとしても、脳内には10年間住み着いていた弟の影が焼き付いている。やめろ、やめろ、出て行け。お前は俺の空想の産物だ。存在しない弟だ。頼む、出て行ってくれ。

駄目だ。あまりに長い時間を共に過ごしてしまったせいで、どうしても「しかしそれでも弟がいるのではないか?」という疑念を払い切ることができない。これではまたこのもやもやとした思いを抱えたまま日々を過ごしていくことになってしまう。一体どうしろというんだ。

 

手っ取り早いのは両親に確認することだ。これで否定してもらえればもうこんなことに悩まされる必要もなくなる。ちゃっちゃと聞いてしまえばいいのだ。

 

「弟がいる気がするんだけど、気のせいだよね?」

 

 

怖すぎ。

 

急すぎだし怖すぎ。

 

普段何考えてるんだかわかんない一人娘が急に「弟がいる気がする」とか言い出すの、怖すぎ。

返ってくる答えは「気のせいに決まってるでしょ」でも「実はね…」でもない。「えっ……」だ。大人が口にする純度100%の「えっ……」だ。そんなのを食らったらしばらく立ち直れない。弟の影とは別のものに囚われることになってしまう。

 

もうどうしようもないのだ。正直なところ、親だろうが霊媒師だろうがなんだろうが、誰かに否定されたところで、すぐに「あー、弟はいないんですね。よかったー」とはなれない。というか、弟を名乗る人間がひょっこり出てきて「こんにちは。僕が弟です。」などとのたまったとしても、恐らく受け入れることはない。10年以上の長い年月を共に過ごした私と「いる気がする」弟との関係は、もはや突然現れた弟ごときが介入できるものではないのである。

 

弟がいる気がする。

 

きっと今後一生「いる気がする」のだ。このやり場のない感情を持て余しながら、いない弟が残さなかった存在しない意思を背負わずに、一人っ子として一人分の人生をつましく送る。